東洋のマチュピチュ・・・?
日本の○○ってよくあるけれど、東洋の○○とは大きく出ました。
どこ?
9月最初の3連休はキャンプを予定していたのですが、雨のため中止にして捨て活に勤しみ、
最終日になんとか回復したので、PCXに乗って近場ツーリングで気晴らしです(^◇^;)
日本三大銅山の一つである別子銅山の跡地を利用した、愛媛県新居浜市の
マイントピア別子
マイントピア別子は大きく分けて2つのエリアがありまして、
こちらは1つ目の「端出場はでばエリア」で、道の駅が併設されています。
施設内を走るトロッコ列車に乗って観光坑道に行き、坑道内を徒歩で見学できたり
(今回はパスしました)
砂金採り体験ができたり、
本館には温泉施設や売店、レストランなどが併設されています。
レンガ造りのモダンな建屋は
旧端出場水力発電所
1970年まで使われていた国の有形文化財です。
そしてマイントピア別子のもう一つのエリアは、道の駅から約11km離れた
「東平とうなるエリア」
細くクネった山道をトコトコ登っていきます。
小型バイクなら楽勝な道だけど、車はちょっと離合が大変かと。
道の駅からガイドさんの案内付き定期観光バスも出ていますので、大型車や運転苦手な方はそれを利用するのもアリですね。
山肌が剥き出しになった急斜面に石垣の跡が見られます。
何かの遺跡でしょうか?
東平エリアにようやく到着しました!
ここから降りていくのですが、その前に全景を上から見てみましょう。
マチュピチュ1
別子銅山産業遺産群
山と空と、当時のレンガ積みの重厚な建物がおりなす景色が「東洋のマチュピチュ」と言われる由縁です。
昔のインクライン跡の220段ある長ーい階段を降りると、
かつての銅山の貯鉱庫跡が現れました!
別子銅山は江戸から昭和にかけて銅の採掘を行い、日本の近代化や地元の発展に大きく寄与しました。
索道基地跡
社宅跡
奥の家(骨組)は復元されたもの。
社宅跡には往時の生活を偲ばせる住居の基礎部分や
かまど、水場が残されています。
マチュピチュ2
大正から昭和にかけてこの地域には町があって大勢の人が暮らしており、社宅、小学校、劇場などが建てられ、大変な賑わいだったそうです。
小マンプ
マンプとは「間歩(まぶ)」のことで坑道を表します。
当時の姿そのままのトンネルに入ってみよう、
内部では当時の鉱山運搬機材をそのまま、
身近に見て触れることができます。
東平歴史資料館には当時の貴重な写真や資料、銅山や社宅全景の模型などが展示されています。
ここに登ってくる途中の斜面の石垣跡がこれらだったのでしょうか?(ワカラナイ)
マチュピチュ3
展望台に登って遺跡をサイドから見下ろす。
マチュピチュ4
山の中ポツンと佇むレンガ群、
こう見るとプチ・マチュピチュと言えなくもないかな?
展望台から先にも大アンプや火薬庫跡、変電所跡などの遺跡があるのですが、
雨の匂いが濃くなり空模様があやしくなってきたので、見学はここまでといたします。
えんとつ山
建設から120年以上経過した別子銅山の精錬所の煙突で、産業遺産のシンボルとして、国の有形文化財に登録されています。
さて帰路に着こう。
国道を走っている途中に突然ゲリラ豪雨に見舞われ、急いでカッパを着るも、横を走る車が跳ね上げる雨水をモロにかぶってずぶ濡れに……(~_~;)
どうにも天候が不安定な連休でした。
それではまた( ^_^)/~~~